八氣会インタビュー 第一回
プロフィール ◇ 廣石敏雄(ひろいし としお)
第4代 副将。
昭和49年土木学科卒業後、前田建設工業に就職。電算センターにて社内LANの構築に
携わり、開発責任者を務める。
約15年勤務の後、東芝の子会社であるソフトハウスに転職。JRA(日本中央競馬会)の
場内LAN、東京電力向けソフト開発等を担当。
平成10年に知人とともに会社を設立し、共同経営者となる。
その後平成12年株式会社廣石ソフトを設立、現在同社代表取締役社長。
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独立してソフトの商売をするには、規模の小さい、隙間産業的仕事を見つけるのが第一だと思っていた。
薬局薬店業界は個人経営の店も多く、前から狙っていたんです。
―薬局向けのソフトを開発するきっかけは?
廣石: 小人数で開発できるソフトは限られている。薬局は個人経営の店も多く、今売られているソフトは高くて手が出しにくい。これなら自分の会社でもやれるんじゃないか、と思った。
―それを聞いて、自分がやりたいと申し出たとか。
廣石: “薬局経営の勉強をしながら在庫管理ソフトを開発したいから、自分を雇ってくれませんか?”ってオーナーに頼みに行った。そしたら、さすがに50を過ぎた男にパートをやらせるわけにいかないってことで、初めからソフト開発を頼まれることになって。
―ソフトはご自分で作っているそうですね。
廣石:この年になって、自分でソフト開発する人はめったにいないね。みんな管理職になって、人にやらせてるから。3年ほど前、前の会社で久しぶりに一から作ってみて、自分もまだまだできるなって思った。自分でできるってのは大きな自信になってるね。いざとなったら、社員がいなくても自分で商品を作れるんだから。
―完成したソフトの販売予定は?
廣石:プログラムは去年一杯までに大体出来あがっていて、現在棚卸でテストをしながら改良中。この春から本格的に販売するため、営業用のホームページを準備している。それから、モニターになってもらえる薬局も募集中です。
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薬局ソフト [ 在庫ダイエット ] のパンフレット (PDF形式・1.49MB/1.67MB)
ダウンロードがうまくいかない場合はこちらまで
hiroishi-soft@nifty.com
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実は今収入ゼロ。ただし、サラリーマン時代の肉体的にも精神的にもボロボロだった時期を思えば気分的にはずっといい。
人生もうひと花咲かせなきゃ(笑)って思ってます。
―サラリーマン時代はかなりハードな仕事だったそうですが。
廣石: 今もある意味ハードだけどね(笑)! 二つ目の会社時代は特にきつかったな。大手企業の子会社から本社に出向していて、お客さんからはクレーム、工場には言うこときいてもらえず、の板ばさみ状態。毎日帰宅が12時過ぎで、翌朝6時には出勤してた。タクシーに乗って途中で吐きながら通った日もあったね!
―大病されたとか?
廣石: その会社に転職してから一年半後に『バセドー氏病』になった。甲状腺の異常が原因で、3ヶ月で10キロも痩せたし、精神的にもイライラして、満員電車の中でよく隣の人をこづいてたね(笑)。それでもだましだましやって、9年半勤めたなあ。
―ハードな環境をどうやって切り替えたのですか?
廣石:ある日上司に外から電話して、“調子が悪いので、これから精神科に行きます”って言った。そしたらすぐ異動になったの。実際医者に行ってみたらその日は休診で、そのまま家に帰っちゃったんだけど(笑)。その後しばらくして知人と会社を興すことになった。
―自営業と、サラリーマンとの違いは?
廣石:通勤時間がゼロになったこと! あとは“自分の方が残業してるのにあいつの方がボーナスがいい”なんてやっかみが無くなったこと(笑)。サラリーマン時代は仕事が多すぎていやだったけど、今は仕事があるのは幸せなことだと身にしみてます。
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苦しい時に思い出すのは、いつか親父から聞いた、“アフリカの住民に靴を売りに行った2人の営業マンの話”。
一人は『まだだれも履いていないんだからきっと売れる』、もう一人は『今だれも履いてないんだからきっと売れない』と考えた。
自分も物事をプラスにとらえたい。
―開発費用の持ち出しについて、経済的に不安はありませんか?
廣石:転職するたびに収入も増えていたし、一応これまでの蓄えがあるので、それを使って今の開発をしているという感じだね。住宅ローンも払えるときに払っちゃった!(笑)
―読むと元気になる本があるとか。
廣石: 井上ひさしの『
4千万歩の男』。江戸時代末期に日本地図を作った、伊能忠敬のことを書いた小説。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/406209536X/aikido-22
忠孝は55才から20年もかけて日本全図を作った。すごい人がいるなあって思って。それから考えると今53才の自分なんてまだまだ若いぞ、なんて元気出てくる。人生150年
(笑)とすれば、まだまだこれからひと花咲かせなきゃって思います。
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社会人になって、しかも転職を重ねると、長い付き合いのできる友人は少ない。
合氣道部時代に得たものはいい友達と頼りになる先輩達です。
―合氣道部に入ったきっかけは何ですか?
廣石:実は僕、もともとは空手部に入ろうと思ってたんだよね。
―それがまたどうして合氣道部へ?
高校時代に応援団をやってて、武道に興味があったので、入学してすぐ空手部室を訪ねたら留守だったの。それでなんとなく合氣道部へ。でも当時の合氣道部はアットホームな雰囲気で、すごく居心地が良かった。練習はきつかったけど。今でも初めての夏合宿で、宿舎の階段を這って上ったのを覚えてる。
―今、合氣道部時代を振り返って思い出すのは何ですか?
やっぱり“プラスの氣”という考え方かな。今は“物事をプラスに考える“という言葉にはすごく共感できるよ。会社を辞めて独立して、商品もまだ開発中というような状況にいれば、プラスの気持ちでいないと、精神的に落ちこんでしまうからね。
―今後の展望は?
廣石:自分は職人タイプだと思ってる。物事に対して真面目に取り組み、打ちこむ。凝り性ってことか(笑)。開発するソフトもお客さんの使い勝手を聞いて、どんどん改良していきたい。そうやって、何とか自分の人生を切り開いていこうと思っています。
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<インタビュー後記>
聞き手:第19代会計 佐藤(旧姓林)実知子
インタビューを始めてすぐに、薬局向けソフト [ 在庫ダイエット ] の開発を始めてから収入がゼロだと伺ったとき、正直びっくりしました。もちろん奥様の収入や今までの蓄えがあるとはいえ、その堂々とした雰囲気に脱帽。でもその後お話をじっくりお聞きすると、やっぱり“手に職がある”ということがすごく自信になるのだと感心してしまいました!
“人生150年(!?)としたら、53才なんてまだまだこれから”という言葉そのものの生き方をされている方だなあと思いました。
※ 今までは何だか気恥ずかしくてOB会に参加しにくかったのですが、田村先生への贈り物の気持ちで、このインタビューを担当させていただくことになりました。
皆様のご意見ご感想をお聞かせください。メール:tmu_aikido@yahoo.co.jp
以上
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