八氣会インタビュー 第四回 2
初代女性主将の井出裕子さん
第2章 『修業時代 〜理想と現実の狭間で〜』
ハワイでの就労体験は全く想像がつかないほど波乱万丈でした。まずインターンシッ
プの斡旋会社が驚くほどいいかげんだと分かってびっくり!
―インターンシップは大変だったそうですね?
井出:そうなんです。日本で斡旋会社から聞いていた就労条件と全く違っていました。
―というと?
井出:現地では、英会話研修が週20時間あると聞いていたのですが、実際は全く無し。
しかも“英語力は不問”ということでその会社に応募したのに、先方からは“もっと英語
ができる子が欲しかった、研修の用意なんて聞いていない”と文句を言われてしまったん
です。
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『プルメリアの花』:ハワイにはたくさんの花が咲いています
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―それはひどいですね。斡旋会社は何と?
井出:あわてて国際電話でクレームを言いましたが“すみません、すみません”と言う
ばかりでらちがあかない。しかたがないので何とか派遣先の会社と交渉して、社員さんの
友達に週1回の英会話レッスンをしてもらうことになりました。そのほかにもいろいろ条
件違いがあったんですけど、もうあきれるほどで…。
ハワイという外国で働いているはずなのに、なぜか日本以上に日本的でウエットな職
場でした。厳しい女性社長に皆が振りまわされていて、私自身もある事件が理由でオフィ
ス業務を外されてしまったのです。
―インターンシップの内容は?
井出:会社としての業務は、ハワイで結婚式を挙げるカップル向けの教会やドレスなど
の手配、記念撮影や披露宴のパーティー企画などです。研修生は社員のお手伝いをしなが
ら勉強するというものでした。
―社内の雰囲気はどうでしたか?
井出:社長はハワイに移住した日本人女性で、かなり気性の激しい人でした。使えると
思った社員には仕事を任せ、気に入らないとほとんど仕事を回さないというような。
―井出さんは気に入られたのですか?
井出:いえいえ、実は仕事で知り合ったカメラマンと付き合いはじめたころ、二人でい
るところを社長の知り合いに見られ、その人経由で社長本人の耳に入ったらしいのですが、
その後私はオフィス業務から外されてしまったんです。
―えー、どうして?
井出:初めて受け入れる研修生だったこともあって、それがどういう影響を及ぼすのか
不安だったんじゃないかとか、顧客情報が漏れるのがまずいと思ったんじゃないかとか、
いろいろ理由は考えました。カメラマンの彼はライバル企業の専属ということではなく、
以前から一緒に仕事を頼んでいた人だったんですけどね。
―周りの人は何と?
井出:『業務を外されるほどあなたが悪いことをしたとは思えない、社長が厳しすぎる』
という意見がほとんどでした。でも彼女の性格を知っているので『そうは言ってもこれか
ら大変ね…』という感じで。
―それでどうしました?
井出:私達の交際が発覚して社長が怒っているらしいと聞き、こちらから話をしに行き
ました。
―社長は何と?
井出:「そのことについて斡旋会社とやりとりしているから待っていてくれ」と言われ、
数日後にインターンシップ契約をし直されました。契約書面から“オフィス業務”が外さ
れたのです。
―厳しいですね、残りはどんな仕事だったのですか?
井出:現場のお手伝いのみとなり、それまでオフィス業務をしていた時間も空いてしまいました。
研修の内容もめちゃくちゃ、上司は最高に気難しいという状況の中で、井出さんは何とか“自分の本来やるべき仕事”に集中し、インターンシップを続けます。メイン業務を外された3ヶ月間で彼女が行ったこととは?
このまま帰ったら後悔するなと思いました。自分はハワイまで何しに来たんだろうっ
て。もう1度業務に復帰するには、何とかして社長の信頼を回復するしかない、それには
ドレスやお花などのアイテムを一から自分で勉強しようと思ったんです。
―会社用語で言ったら、いわゆる“干された”状態になったわけですよね。
井出:それまで、そんな状況になっている人を何人か横目で見ていたのですが、“まさ
か自分が”という気持ちでしたね。でもまだやりたいことができていないと思って、その
ままインターンを続けました。
―普通なら腐ってますよ。どうやってモチベーションを維持したのですか?
井出: 1年間の研修費用は全額前払いでしたし、せっかくビザも取っているのだから
日本に帰るわけにもいかなかったということもあります。
―割り切って働いたということですか?
井出:それだけというよりは、やはりウェディングの仕事が楽しかったんですね。現場
だけでも充分やりがいがありました。このまま終わったら悔しいなと思い、プランナーと
して一人前になるために、お花やドレスなどを一から勉強しようと考えたんです。
「夢をかなえるためには行動するしかない。」 そう思って、勉強したことをまとめた
レポートにポストイットのメモをつけ、社長の机の上に置き続けました。
―具体的にはどのように勉強したのですか?
井出:勉強と言っても自己学習するしかなかったので、雑誌や本を見て種類を覚えたり、
現場仕事のレポートを作成して社長あてに提出するようにしました。
―社長に直接手渡したのですか?
井出:はじめはポストイットのメモをつけて、おそるおそる社長の机の上に置いておき
ました(笑)。 そのうち先輩社員の方がいろいろアドバイスしてくれるようになって、一
週間のスケジュール表を作成し、現場業務の予定と結果、自己学習したことなどを記入し
てそれも一緒に提出するようにしたんです。
―社長の評価はいかがでしたか?
井出:はじめは何もコメント無し。それでもとにかくレポート提出を続けたら、ある日
ちょっと手が足りない時にオフィス業務を手伝わせてもらうことになって。おつかいや掃
除からでしたけど。レポートを出し続けた頃から『あの子は根性あるね』と思ってもらえ
たそうです。それから少しづつ初めの勤務状態に近づいていきました。
インターンシップで学んだことは、『人間関係をどうこなすか』という一言につきま
す。何かトラブルが起きたとき、自分にもそれを招いてしまった一因があるということに
気づかされました。そこを乗り越えるには、自分自身の行動を見直す必要があったんです。
―結局どれくらい“謹慎状態”だったのですか?
井出:約3ヶ月間です。
―復帰してからの仕事は順調でしたか?
井出:基礎からの積み上げが大事だと思ったので、まずは言われた事をミスせずにやる
よう心がけました。
―1年間のインターンシップで得たものは何でしょう?
井出:『人間関係をどうこなすか』という一言につきます。全く自分とは価値観の違う
人たちの中で働いてみて、常に考えていたことは、自分にもそれを招いてしまった一因が
あるということでした。
―それはどういう意味ですか?
井出:例えば彼との交際のことも、社長のものの考え方を理解していたら、あんなトラ
ブルは防げたかもしれないということです。今思えば人間関係の経験不足だったなあと。
実際、私より10歳くらい年上の女性で、すごく上手く社長と付き合っている方もいたんで
すよ。
■1年間のインターンシップを終え、日本に帰国した井出さんは海外ウェディング業界
で転職先を見つけます。彼女が新しいスタートを切るにふさわしい職場と判断した企業と
は?
第3章 『再就職 〜新たなスタートを決めた基準〜』
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第1章 『退職 〜直感を信じて道を選ぶ大切さ〜』
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