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 八氣会インタビュー 第五回 

世界50カ国以上を旅している"地球人"加藤圭司さん


プロフィール ◇ 加藤圭司(かとう けいじ)

第15代 主務
1986年人文学部英文学科卒業。
5ヶ月間の警備会社アルバイトを経て、同年9月よりアメリカ合衆国Concordia Collegeに留学、英会話、英米文学を学ぶ。1988年同学を卒業後、日本語教師をしながら10年半ニューヨークブロンクス郊外に滞在。その後メキシコから中米、南米、ヨーロッパ、アフリカ、アジアに渡る40数カ国を3年半かけて回った後、2000年に帰国。以降、英会話学校の講師、土方仕事などをする傍ら、アジア、アフリカを放浪。現在アメリカ半導体メーカーの通訳として、エンジニアと供に国内企業の工場及び研究所等を回りながら、オフには世界中を旅する生活を続けている。

加藤さん



■伝説の放浪者Mr.加藤のインタビュー。
10年半に渡るアメリカ滞在生活、50カ国以上に及ぶ世界の旅から見えてきた日本、そして日本人とは…。


前編 『初めてのアメリカ、そして世界をめぐる旅へ』

はじめての外国アメリカは、本当に自由な国だと思ったね。日本ってものすごく"緊張体質"の国じゃない?

―大学を卒業してすぐにアルバイトをはじめたんですね。

加藤:1986年の8月まで警備会社のアルバイトをして金ためて、9月からアメリカのカレッジに入ったんだよ。専攻は英会話と英米文学。

―当時は周りからいろいろ言われたとか?

加藤:そうそう、学部の同期生に"留年してやっと卒業したのに、就職もせずにバイトだなんて何やってるんだ!"ってね(笑)。あと、ブロンクス近辺に住むとなったら"そんなところに住んだら絶対殺されるぞ!"とも言われた。実際は全く静かな住宅街だったよ。

―なぜアメリカを留学先に選んだのですか?

加藤: 80年代のアメリカンカルチャー全盛期で憧れもあったからかな。湾岸戦争前の、むちゃくちゃなことしないアメリカってすごくいい時代だったと思う。

―実際に住んでみていかがでしたか。

加藤:あ〜なんて自由なんだ!と思った。日本ってものすごく緊張体質の国じゃない?みんないつも急いでいて、これしなきゃあれしなきゃって焦ってる感じ。合気道部も"力抜け"と言ってる割には根性主義で筋トレとかして、先輩後輩の上下関係がすごく厳格でピリピリしてたりして(笑)。

―アメリカは本当に"自由の国"だったと?

加藤:そう、とにかく何するにも気持ち良かったね。道路も家も広くてデカイし、人口密度が低くて渋滞なんてほとんど無し。車やバイクでハイウェイを走ってても空いててすごく気分良くて。マンハッタンから30分も行けば大自然の真っ只中だし。

アメリカはリラックス文化だから、仕事でもいろいろ固いこと言わない。労働時間の割に給料が良くて物価が安いから生活には余裕がある。"人生は楽しむためにあるのさ、仕事は所詮仕事でしょ?"って。

―現地では日本語学校の講師をしていたとか?アメリカで働いてみた感想は?

加藤:全体的に"ゆるかった"なあ。自由だったというべきか。大学で日本語講師をしたけど、テキストなんかも自分で勝手に選んで良くて、生徒が評価するならどうやって教えてもいいよって感じだった。

―日本でも英会話学校の講師をされていましたよね?

加藤:そうそう、そっちでは日本語を教える講師というより"教材を売る営業マン"を要求されてる感じだったね(苦笑)。

―ところでアメリカ人は本当に残業しないんですか?

加藤:する人もいるけど、やっぱり少ないね。あと、モノを作る職人なんかの動きもリラックスしてるから、ラジオ聞いて体ゆすりながら肩甲骨から大きく腕を動かすって感じで。俺日本で電子レンジを作るラインのバイトをしたことあるんだけど、40秒間に12工程作業をするという超緊張体質な仕事だった。あんなことアメリカ人にはできっこないと思ったね。

― "アメリカ式働き方"はいろいろな意味でリラックスしているようですが、それで生活は成り立つのですか?

加藤:労働時間の割に給料がいいわけ。それで物価が安いから生活には余裕がある。"人生は楽しむためにある、仕事は所詮仕事でしょ?"って感覚。その反面評価主義も徹底しているから、個人の裁量で仕事をさせるかわりに何かあるとすぐリストラ要員になるけどね。

日本って国は純度が高いんだと思う。緊張体質のところってみんなそう。住んでる人に共通項が多くて、同じことができる基盤がある。

―なぜ日本は緊張体質なのでしょう?

加藤:うーん、やっぱり日本人率が高いからじゃない?純度が高いというか。だから、皆が同じ様に行動することが可能になるんだと思う。アメリカ、特にニューヨークやカリフォルニアなんかは人種のるつぼでいろんな人間がいる。その人たちが皆同じことをするなんて不可能だよ。

■ 10年を過ぎて感じはじめた違和感。アメリカとの別れ。そして新たなる旅へ…。

アメリカでの生活は楽しかったけど、長く住むといやなことも耳に入ってくるようになった。やっぱり人種の壁は厚かったな。

―アメリカを離れることになった経緯は?

加藤:はじめは学生ビザ、それからワーキングビザを更新しながら住んでた。ところが10年過ぎたら更新できなくなって、グリーンカードも持ってなかったし、出国することになった。アメリカでの生活は好きだったけど、10年も住んでるといやなことも耳に入ってくるようになったんだよね。逆に日本を離れたころは緊張体質なところがいやだったけど、やっぱりいいなと思うこともでてきて。

―アメリカのどんなところがいやだったのですか?

加藤:やっぱり人種差別だよね。例えば街で「Hey,Chinaman!(ヘイ、チャイナマン)」(Chinamanは差別用語。)とか「Fucking Aisian(くそアジア人)」なんて言われたりして。すれ違いざまに「Smells like fish!(あいつ魚くさいぜ)」なんてのもあったな。

―それはニューヨークも田舎でも同じですか?

加藤:都会の方は意外と何でも受け入れる雰囲気があったね。逆にアメリカの田舎はもろに白人文化だから、けっこう閉鎖的。カントリーサイドのバーで酔っ払ったトラックの運ちゃんなんかいると怖かったよ。店の中でけんかが始まると"ライフル取ってくる!"なんてすぐ言うし。向こうは車の荷台に銃を置いてあるなんてこと当たり前だから。

―本当に英語が分かってくると、そういう言葉も耳に入るってことなのでしょうね。

加藤:そうかもね。きっと留学したばかりのころも言われてたんだろうけど、分からなかったのかも(苦笑)!

旅支度

Mr.加藤の旅支度:
ガイドブック『ロンリープラネット』、現地の地図、スプーンとフォーク、針と糸、洗濯ひもと洗濯ばさみと洗剤、ヘッドランプ、アーミーナイフ。
カメラはアフリカで落としてから持っていない。その方が純粋に風景を楽しめるから。

違う文化圏を旅すると価値観が広がる。例えばアメリカに行ったばかりは"日本とこんなに違うんだ"と思ったけど、インドに行ったら"あー、アメリカと日本って似てるじゃん"って感じた。人が今考えていることは、それまでの経験の中から生まれているに過ぎない。

―アメリカを出た後2000年に日本に戻るまで3年半旅をしたのですね。

加藤:メキシコから出国して、中米のほとんど、南米の四分の三くらいを回り、そこからヨーロッパ、アフリカ、最後はインドとタイに寄ってきた。

―すごい数ですね。米国を離れてみて感じたことは?

加藤:アメリカにいたころは、日本とアメリカはすごく違うと思ってたんだけど、アフリカとかインドに行ったら"あれ?日本とアメリカって似てるじゃん"と思った。 例えば、生活に必要なモノがあるってところかな。モノがあふれているからサービスや情報とかが売られはじめているという、資本主義の最終段階にあるというような部分。

夜中に電気のない国に着いたって怖くはない。現地の人に宿はどこですか?って聞けばいいんだから。

―すごく多くの国を回ってますよね。例えばアフリカではどの様に移動したのですか?

加藤:たいていはバスで、あとは電車とかトラックの荷台とかヒッチハイクとか。マラウィに行ったときはトラックの荷台に乗って国境越えたら夜中に街についちゃって困ったよ。なにしろ電気なんかないから国中真っ暗!ろうそくの火と小さな懐中電灯だけで歩かなきゃならなかった。

―そんな状況になって不安じゃないのですか?

加藤:別に。そこにいる人達に"宿はどこですか?"って聞けばいいじゃない。

―普通はこれからどうしようって怖くなりますよ!

加藤:暗いのは不便だけど怖くはないね。怖かったことと言うなら、アメリカで禿げたかに食べ物にたかられたり、マラリアなんかの伝染病やヒマラヤやアンデスの高山病も怖いよ。アジアの狂犬病にかかった犬はマジで恐ろしいしね!

―ははは、恐怖のレベルが違いますね〜。

加藤:あと怖いのは中南米やアフリカの制服を着た人。警官とか軍人なんだけど、権力と銃を持ってるからたちが悪い。給料が安いので、強盗に変身したり、賄賂を要求したり。陸路での国境越えは旅の醍醐味だけど、毎回スリリングだよ。

ヒマラヤ2
エベレストベースキャンプに行く途中:
隣は現地で雇ったネパール人ガイドさん

経験を積むと危険を感じるセンサーが敏感になる。今、この場所はヤバイなとか、まだ行けるとか。人を見る目もできてくるしね。

―危険ぎりぎりのところでは好奇心と戦うのが難しそうですね。

加藤:海外に行くと、どうしても危険は日本より多いよね。不注意過ぎたらヤラれるし、でも心配し過ぎてもつまらない。難しいけど、この辺のバランスが大事だと思う。実は1991年の夏、ミャンマーの反政府ゲリラのキャンプに一晩一緒に泊まったことがある。今から考えると前線から近いし、危なかったと思う。だけど、得たものも多かったよ。自分より若い、まだ十代の兵士たちがミャンマーの自由化のために戦ってる。スーチー女史について熱く語る。世界にこのことを知らせてくれと頼む。自分はそれまでスーチーさんの名前も知らなかったんだよね。そののちに政府軍の総攻撃で彼らは全滅したとニュースで知った。でもあのキャンプでのこと、彼らの笑顔はまだ覚えてるよ。

ヒマラヤの夕日

ヒマラヤの夕陽:
荒涼とした中の美

後編 『"地球人"Mr.加藤のライフスタイル』

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