---田村先生との出会い
二松学舎大学に進み、大学でも合氣道部を創部しました。創部したものの、畳もなく、みんなでアルバイトをして購入し、稽古をしておりました。
合気会に師範を要請したところ,快く引き受けてくださったのが、当時プロになりたての田村先生(当時26歳)でした。
当時の先生の稽古はとにかく激しい稽古でした。
合宿の際、先生が率先して筋トレをされるのですが、自衛隊で鍛え、さらに合氣道家として鍛え上げた先生の筋トレの量ははんぱでなく、途中、体が動かなくなり、限界である旨をつげると先生は「汗が出るうちは大丈夫。やりなさい。」とおっしゃいました。しょうがないので、意識が朦朧とする中、再び筋トレを続け、いよいよ汗も出なくなり、その旨先生に告げると「しゃべれるうちは大丈夫」とおっしゃられ、再び筋トレを続けました。その後に通常の稽古が始まるのです。これがまた半端ではないのです。
当時は、田村先生も氣のことなんか知らなかったから、ひたすら体を鍛えてました。
ある日、頭を鍛えるということで、いわれるまま頭を差し出したところ、手刀でぽかぽか叩かれたこともありました。あれは流石にまずいと思ったのか、しばらくしておやめになりましたが・・・(笑)
大学2年のときに、都立大でも合氣道部ができたことを田村先生から伺いました。
それ以来、仲間意識があり、都立大の合氣道部に対しては親近感を持っておりました。
--書道と合氣道
書道を小学校4 年生の時から続けております。
書道と合氣道は、形を模倣するところからはじめること等共通点がいくつかあり、お互いが役に立つ点が多々あります。特に、書道で、手本を見た後、それを伏せて再現するという稽古がありますが、これは、藤平先生や田村先生の示す技を吸収する上でとても役立ちました。
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